津波7週間後の南三陸町

「仙台から日本を元気に!」の活動の一環で、ここのところ4週間ほど南三陸町に通っています。
主に訪問しているのは以下の避難所です。
※地図をクリックするとgoogle mapが表示されます。

別なメンバーは昨日、牡鹿半島の各避難所の支援に回っていました。



私は主に南三陸町の中小の避難所を訪問し、今のところは物資支援(必要にも拘らず救援物資としては手に入らない物)、各避難所の取りまとめ役の方々との関係作り(今後永く続く復興支援のため)をしています。
皆さんもTV新聞等でご承知の通り、南三陸町津波の被害が特に深刻だった地域の一つですが、震災から7週間経った今日になっても、先ほどまで回ってきた7避難所の内、未だ3カ所が停電のまま(それでもこの一週間でだいぶ良くなりました)、水道は全箇所で復旧していません。



ただ、人々は確実に前を向いて動き出しており、明るい表情の方々が多いのも確かです。
例えば、数軒だけが残った志津川田尻畑(なぜこんなところまで津波が・・・、と言うくらい山合いの集落なのですが)では、あるお父さんが役場と土建屋と掛け合って、地域の瓦礫撤去を地域の人々の仕事になるように調整していました。



また、入谷公民館では、GW開けから避難所でなくなるために本来の公民館としてのサービスを復活するのですが、その中で災害に強くなるためのIT研修を地域住民の方々向けにやりたいと言う話になっていて、ネットの使い方とかTwitterの使い方などを今までPCを使ったことがない人向けに企画する予定です。
これについては、ネットワークの修理やPCやスマートフォンの準備/設置、研修の企画/実施などを仙台のIT業界のみんなで支援するよう考えています。



避難所で最近twitterなんかを始めた人なんかも多いし、電気通って落ち着いたらパソコン持ってくるからインターネットの使い方教えるね、なんて言うと意外におじいちゃんが目を輝かせたりして、これを機にネットを使えるようになりたいなーと思っている人が思いのほか多いんですね。
このテーマは、頻繁に通えるからこそできる復興支援活動として、仙台のIT業界で進めて行きたいと考えています。



一方、震災当初から、炊き出し等のボランティアは圧倒的に関西の方々が多いですね。
やはり阪神淡路大震災を経験しているからこそ、被災者の気持ちがよく分かり、支援のノウハウも持ち合わせているのだと思います。本当にありがたいことです。
ただ、さすがに今後は遠方からの支援は徐々に減って行くのではないでしょうか。
その時こそ、日帰りで通える仙台からの支援が大事になってきます。
継続的に遠方から支援してくれる方々のハブになる意味でも、これから「仙台から日本を元気に!」の活動を広げ、仙台の企業が沿岸部の復興を支援する仕組みを作って行きたいと思っています。
合わせて、全国IT業界の方々には「ITで日本を元気に!」にご協力頂き、義援金のご提供、ITの仕組みや機器のご提供、実際の現地での支援へのご参加をお願いしたいと思います、ご協力のほどよろしくお願い致します。



ところで、南三陸町一番の宿泊施設「ホテル観洋」隣のレストランが先週からオープンしています
三陸方面へボランティア等で行く方々、是非地元飲食店のご支援もよろしくお願い致します!

ちなみに、まだ水道が通っていないので、使い捨ての食器を使っていたり、お水の代わりにコーラが出てきたりしますけど、おいしいですよ!



以下、本日回った避難所と途中の景色です。
入谷公民館。

田尻畑のOさん宅。ネット経由でアメリカはテキサスに住む親戚の方から依頼があり、様子を伺ってきました。

志津川高校。

炊事班の内田ブラザーズ。彼らにトライポッドの女性社員から寄付してもらったステレオコンポをお届け。
彼らは志津川駅前でスポーツバー「Alley-Oop(アリウープ)」を経営していて、集めに集めたCDは4,000枚!それらは全て流れてしまいましたが、今日からまた新たなコレクションがスタートしました!
被災地は色々なモノが無いんだけど、その中でも寂しいなーと思っていたのが音楽。今晩から、志津川高校炊事室の夜は良い雰囲気になっていることでしょう。

料理に必須の水は、自衛隊給水車が補給してくれています。


平磯生活センター。

港親義会館。このような小さな避難所にも、大阪からボランティアが炊き出しに来ています。


歌津中学校の魚竜の湯。(※歌津魚竜は歌津で発見されました)

この避難所では校庭で子供たちが外人ボランティアたちと思い切り遊んでいて非常に明るい雰囲気でした。避難所としての設備も充実しており高台にある立派な学校ですが、港側から見ると津波が直前まで迫っていたことが分かります。

吉野沢団地の物資支援センター。

この団地は山合いにあるため津波の被害は全く受けていませんが、南三陸は町のほとんどを失っているため町民のほぼ全員の職場が無くなっています。
何で収入を得て行けるのか不透明な現状では、在宅の方々も救援物資に頼らざるを得ないのが現実です。南三陸町内にはお店も無くなっているので、何か買うには内陸へ30分車を走らせる必要があります。
ましてや海辺の方々は車も失っていますし、色々な意味で買い物が難しいのです。



南三陸町の中心部、志津川

志津川中学校からの遠景。ここに13,000人が住んでいた町がありました。


瓦礫は自衛隊車両が海岸沿いの空き地まで運び、野焼きされています。風向きによっては町中に煙が充満しますが、他に処理する場所が無い現実からすると致し方無いようです。


清水浜(しずはま)気仙沼線の土盛りはずたずたになっています。

三陸の町は入り江に川が流れ込んでいる場所にあるのが典型なんですが、どこも川に沿って数Km上流まで津波が押し寄せ、全てのものを山へ押し出してしまっています。



歌津魚竜館


歌津大橋は完全に崩壊しています。写っているのは左の橋脚の上から流されてきたバイパス道路です。

反対側。右に橋脚が見えています。



町の状態は壊滅的で未だ瓦礫の山。ライフラインの復旧のメドは付いていない、仮設住宅を建てる平地が足りない、そもそもどのように町を再生すれば良いのか、などなど今後の課題は山積みです。
人々は前を向き明るい雰囲気ではありますが、一ヶ月半に渡る避難所生活で疲れが溜まっており、将来への不安も大きくなっています。
津波の被害の大きい地域の苦労はまだまだ続きます。継続した復興支援をして行く必要があることを忘れないで下さい。


仙台から日本を元気に!支援者募集中です。是非ご連絡下さい。
「仙台から日本を元気に!」


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