福島第一原発20Km圏内の現在

先ほどニュースを見ていたら、石巻で最後のがれき処理が行われ、今月で宮城県内の全がれき処理が終了とのこと。
「岩手、宮城で処理完了へ 震災がれき、最後の作業」
やっと終わったのかぁと思うけど、一般廃棄物13年分相当1102万トンを3年で片付けたと言うことだから、凄いことだ。


一方、写真は福島県浪江町請戸地区の風景。これは2011年の写真ではありません。
2014年3月28日。今日の写真です。
丸3年経過して、車や船のがれきがそのまま。


 
今日は特別な許可で福島第一原発5Km圏に入らせてもらい、福島第一原発の煙突が間近に見えるエリアの実情を目の当たりにしてきました。
そこには、宮城の沿岸部で見た2年半前の風景が未だ広がっています。


玄関先には、津波に襲われた時刻で止まった時計が。


そして、放射能の問題。
このエリアの放射線量は0.1マイクロシーベルト以下の場所もあるものの、浪江町内陸部の道ばたの地面では写真のようになんと42マイクロシーベルト!と言う非常に高濃度の場所もあり、問題の深刻さを感じてしまいます。

 
現在、福島第一原発20Km圏内が実際のところどうなっているのか?
一度、ご自身の目でご覧になることをお勧めします。
国道6号を南下した場合、現在は一般人の我々でも浪江町双葉町の境界線である福島第一原発まで約6.4Kmまでの地点まで進むことができますので。

写真は「ITで日本を元気に!」の3/9の活動時のもの。

 
福島第一原発20Km圏内。
ここは現代の日本とは思えない、3年間時間が止まった世界が広がっています。
それは、JR浪江駅前にある新聞配達所に山積みされている2011年3月12日の新聞朝刊を見ただけでも分かると思います。上記のような風景を見れば尚更です。

この日の一面トップ、「県内震度6強 死者16人」と言うのも複雑な気持ちにさせる見出しです・・・。

浪江駅前通り。人っ子一人いない町。


小高駅前の駐輪場。
2011/3/11朝に駅利用者が置いた自転車が、3年間そのままの状態で主の帰りを待っています。


そんな中、20Km圏内の南相馬市小高区で頑張っている方もいらっしゃいます。
NPO浮船の里を立ち上げた久米静香さん。写真は3/9のものですが、今日も色々とお話を伺ってきました。

放射線量が高い前提でここに戻ると決めた。ただ、年末12/19に水道が出て311に戻ったレベル。行政からの情報は少なく今後の見通しは見えない。」
3/9に聞いたこの言葉に、20Km圏の現実と彼女の覚悟が込められています。
震災前は一主婦だった彼女が震災後の不条理を受け止めるには長い時間が掛かったと仰っていましたが、地元小高(おだか)を愛し、いつか小高に人々が戻って来られるよう、バラバラになったコミュニティを繋ぎ直す場をつくり、昔から盛んだった養蚕を復活させて小高産の織物を生み出そう!と言う夢を持ちながら頑張っている素敵な女性。それが彼女の今の姿です。
無印良品の記事「東日本大震災、その後。 ─聞くこと。物語ること。─」