震災から3ヶ月の宮城県沿岸部の状況

昨日で東日本大震災から3ヶ月。
当時の記憶が鮮明なので震災直後のことを思い起こすとつい最近のことのように思える反面、その後に体験した数々のことを思うと1年くらい経ったようにも感じる不思議な3ヶ月です。
後にも先にも、こんな3ヶ月は無いんじゃないかと思います。


さて、本日も南三陸へ。
今回はメガバンクの方、外資系コンサルファームの方にも同行してもらい、3ヶ月経った現在の状況を体感してもらいました。
3ヶ月で復旧したこと、復旧にメドが付いたこと、解決していない問題、時間が経ったことによって新たに発生している問題などなど、沿岸部の現場には行ってみないと分からない色々な現実があります。


途中、石巻に立ち寄り。
港付近の瓦礫の仮置き場は、至る所に小高い山が出来上がっています。


これだけの量が仮置き場に運ばれているにも関わらず、石巻は瓦礫撤去が遅れている市町村の一つ。あまりにも量が膨大のため。
以下、石巻の南浜町〜門脇町付近の風景なんだけど、瓦礫が撤去されて空き地のようになった場所と未だ震災直後の状態の場所が混在し、とても震災から3ヶ月経ったようには見えないんだけど、これが現実です。




その後、登米市へ移動。
南三陸町民の一部は、内陸部の登米市鳴子町に集団で避難されています。
町外の2次避難所は町内の避難所に比べると電気や水道などのインフラには恵まれているものの、物理的に町から離れているために情報が伝わりにくい状況があります。
その問題を少しでも解決するため、「ITで日本を元気に!」の活動の中で、町外避難所へのPCとWifi通信の配布を開始しました。
現状、日本ヒューレットパッカードソフトバンク、ICT支援応援隊の各社各団体の多大なるご協力を頂いております。


本日はまず、登米市豊里多目的研修センターのリーダー及川さんにNotePCとSoftbankの3G Wifiカードをお渡ししてきましたが、今後はおじいちゃんおばあちゃんにも使ってもらえるよう、iPadデジタルサイネージなども配布する計画です。



登米から南三陸町戸倉に入った辺り、道路脇を通る気仙沼線
線路は土盛りごと流されてしまっており、この路線がどのように復旧されるのか3ヶ月時点でまだ何も決まっていません。



本日2番目の訪問地は南三陸町戸倉の海洋青年の家。
ここのボランティアリーダーの渡辺さんとは、戸倉をITでインテリジェントな町にしよう!と復興へのゴールを共有しています。
直近、まずは70台のPCを各避難所や集落に配布する計画なんだけど、このブログの読者で使わない中古PCをお持ちの方、是非ご寄付を!
私のtwitterFacebookにご連絡を頂けると幸いです。
今日はその前に、避難所設置用、ボランティアの方々の情報共有用にNotePCを4台をお渡し。

渡辺さんのFacebookによると、その後早速高校生が使っていたようです。



震災から3ヶ月の志津川駅。
駅周辺の瓦礫撤去はこの2,3週間で随分と進みましたが、それでも完全に片付いた状態ではありません。




線路が飴のように曲がったまま放置されています・・・。



その後、志津川の避難所をいくつか回り、夏物衣料などをお届け。
また、南三陸スポーツ少年団サッカーチームにスパイクとトレーニングシューズを寄贈。
これは仙台市PTAから「仙台から日本を元気に!」が頂いたものです。
ありがとうございました。
三陸のサッカー少年たちにしっかりお届けしましたよ!