昭和の旅情

昨日から久々の東京。40日ぶり。
会社創業以来、これだけ東京を離れたのは始めて。と言うか、40日連続で仙台に居たのって、考えてみれば大学で東京に出た時以来だ。



東北新幹線は、ついに来週月曜日から仙台ー東京間が復旧すると発表されました。嬉しい。
ただ、今週はまだ福島までしか運行していないので、昨日は新幹線リレー号って言うのに乗って福島まで移動。
その昔、東北新幹線が大宮止まりだった頃、大宮-上野間を1985年まで走ってた電車が新幹線リレー号。懐かしい。
更に懐かしいのは、今回の車両が特急はつかりで使われていた車両だってことだ。Twitterに返信してくれた方の情報によると、この車両は583系ってやつなんですね。

特急はつかりが仙台を走っていたのは1982年まで。
そんな電車がこの震災によって現役に戻り、それに乗れたって言うのは、ちょっと得した気分。



更に懐かしいのはその車内と音。汽笛の音と言い、ガタゴト音と言い、今の電車とは違う昭和の旅情溢れる音でした。

まさに昭和の特急。
乗っている人まで古めかしく見せてしまうのは不思議です。
途中止まった白石駅で、駅弁や冷凍みかんを売りにこなかったのはちょっと残念でしたけどね(笑)



ところで、昭和と言えば、この震災で昭和に活躍した物を見直しました。
例えば、電話。
今の電話は電気が無いと通じないんだけど、昭和のアナログ電話は電気いらず。
電話線の微弱電力で動くので、停電時でも通話が可能でした。



公衆電話も然り。
電池が無くなって使えなくなった携帯を置いて、みんな数少ない公衆電話に長蛇の列を作っていましたね。



暖房。石油ストーブが避難所でも大活躍。
電気/ガスが不通の間、エアコンも床暖房も当然使用不可。
ガスと言えば、都市ガスが1ヶ月以上復旧に時間が掛かるのを尻目に、プロパンは何ら問題無し。
最初の1ヶ月、プロパンガスの実家に何度お風呂に入りに行ったことか。



物資不足だった頃、仙台市民を助けてくれたのは近所の商店。
ここのところやっとまともになってきたコンビニと違い、震災の次の日から店を開けて残っている物を売ってくれました。



その他色々あったんだけど、普段ちょっと不便で脇に追いやられたモノたちが、今回の震災では大活躍していました。
昔のものって、アナログな部分が残っていて、何か不足していても何とか動くんですよね。ちょっと壊れてても自分で直せるものが多かったし、叩けば直るものが多かったし、全部が動かなくても取り敢えず半分だけ動くとかのものが多かったと思います。
対して最近の製品や社会インフラは、確かに全てが揃っている時は快適で便利で高機能なんだけど、ごく一部の不都合や不具合が出た時点で全体が動かなくなるものが多いんで、All or Noting なんですよね。
それだけ物の作りや何かを動かすシステムが複雑になっていて、そのために復旧にもやたら時間が掛かるものが多くなってしまっているように思います。



なんてことを、昭和の旅情溢れる特急はつかりに乗りながら考えていました。
これを機に、昭和を見直すのも良いかも知れませんね。



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